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2007年8月

こころの写真

Umitime1

‘写真’と関わって20年以上が経つ。まだ、うら若き乙女だった頃に

入社した広告制作会社のクライアントが某写真メーカーだったので、

おそらく他のコピーライターよりも写真や写真業界、写真文化には

詳しいと思う。他に自慢できるネタが乏しいので、数少ない自慢の

ネタはこうして大げさに公表することにしている。

日本の写真フィールドは人種的に分類すると「プロ」「アマ」「シロート」と

大別できる。「プロ」は当然、プロフェッショナルフォトグラファー。仕事の

形態やランクなどで細かく分かれており、ひとくくりにはできないが、

説明し出すと、ながぁーくなるのでまた別の機会に。とにかく、乱暴な

定義だが、写真でゴハンを食べている人たちがプロである。

次の「アマ」はアマチュアカメラマンたち。プロも顔負けの機材を持ち、

なかなかの腕前ではあるが、写真では食べてはいない。あくまでも

趣味である。「シロート」はひと昔前でいったら、フジカラーユーザー。

家族の日常や旅をスナップする思い出記録派である。

ここのところ、「アマ」の世界に異変が起きている。ちょっと前までは「アマ」と

言ったらガチガチの写真マニアを指していた。露出やシャッタースピードが

いくつだの、レンズは何ミリだの、カメラはドコ製だの、印画紙はナニナニ社の

ものだの、いわゆる技術論優勢型。人種としては高齢の方が多い。著名な

写真家を先生と仰ぎ、撮影会にもよく参加して、下手すると先生が三脚を

立てた隣に我が三脚を立て、同じような構図を狙っている。ここ数年で私が

感じているのは、この技術論アマではなく、感性で楽しむ人種が増えて

きたということだ。名付けるなら、新感覚アマ。このタイプに多いのは女性、

しかも若いお嬢さんたちである。絞りがいくつだのはあまり関係ない。ただ

「わぁー、キレイだな」「気持ちいい光景だな」という感じたままの心を写真に

描いていく種族である。旧アマの写真は「どこかで見たことがあるなぁ」と

いうようなあまり心の琴線に触れない作品が多いが、新感覚アマたちの

写真はストレートに心に響く。難しい写真論は省くが、要は見ていて

気持ちいい写真たちなのだ。私はこっちの方が好きなので、新感覚アマの

出現は嬉しい現象である。

Umitime2     Umitime3

そんな新感覚アマたちの写真展を見てきた。私の弟分の若手カメラマン

‘むらい さち’が主催するフォト講座のメンバーたちによる共同写真展で、

会場も横浜の山手にあるエリスマン邸というコジャレた洋館である。

フレームは自分たちでヤスリをかけ、白ペンキで塗った手作り。

「うみたいむ」という写真展タイトルにふさわしい心地よいシーブリーズが

感じられるいい写真展だった。写真は脳みそで撮るものじゃない。心で

感じたなにかを描くキャンバスと絵筆である。彼らはそれを誰に教わるでも

なく、自然に体得している。残念ながら私自身には絵心がまったく欠如して

いるので、技術論から離れて自由に描き出した彼らの応援団長をして

いきたいと思っている。

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『写真』の意味

B_lanchi3_2    B_lanchi4    

広告業界のオモシロイところは、毎日、違った体験ができることである。

ことにウチの会社はボスが「コピーライターといえども、なんでもできる

ようになりなさい」という、ありがたい教育方針の人なので、私も海外ロケに

行ってディレクションしたり、大きなプロジェクトで広告代理店の営業サンの

ような仕切りをやったり、およそコピーライターとは無縁の仕事をさせて

もらえる。オフィスでおとなしくコピーを書いていると「あ、そうだ。私って

コピーライターだったっけ」と思い出す始末である。

7月某日。この日はフォトコンテスト審査会を仕切ることになった。まずは

士気を高めるために、ビジネスランチ。クライアントさんが気を遣ってくださって、

私のお財布では食べられないような高級イタリアンレストランに審査員の

先生といっしょに招待してくださった。前回のビジネスランチで、アメリカの

ビジネス社会のように優雅に会話を楽しみつつ、ナプキンで楚々と口元を

拭うなどといった光景は期待できないと学習していたので、モクモクと

食べる男性陣に混じっていても、今回はたいして落胆せずに済んだ。

経験は人を育てるのである。

Phototree

そのレストランにセピアの写真を使ったオブジェがあった。NYから日本に

初出店というだけあって、装飾もコジャレている。ふむふむと感心しつつ、

やっぱり『写真』というのは、やっぱり印画紙に焼いて初めて『写真』に

なるんだよなと思った。今はみんなデジカメやケータイで撮って、データを

PCにぶちこんでオシマイとなってしまっているが、それではまだ『データ』の

粋である。『写真』に昇格するには、やっぱり印画紙に焼かないと『写真』

とは呼べない。

今の若いママさんたちはアルバム作りをまったくしないのだという。

デジカメで撮ってPCにぶちこみ、ブログアップして終了。子どもたちが

大きくなった時、成長記録を綴ったアルバムがないなんて、どんなに淋しい

想いをするだろう。自分が愛された記録。それはPC画面で見ればいいって

ものじゃない。親が簡易ではあっても編集を考えながら一枚一枚、写真を

大切に貼ってくれたページを手でめくることに、意義があるのだと思う。

第一、PCが壊れたり、ブログを管理している会社が倒産してブログ自体が

消滅してしまったら、どうするのだ。

世のお母さんたち、デジカメで撮ったら、必ずプリントするようにしましょう。

そして、ただ羅列するだけでもいいから、アルバムを作ってあげてください。

子どもたちが成長する過程でなにかに躓いた時、愛されて育った記録が

きっと彼らを救うはずです。

母が厳しい人で、モノ心ついてからは叱られた記憶しかない私でさえ、

赤ん坊から幼児期のページを見ると、ほのぼのとする。グレずにまっすぐ

育ったのも、このアルバムのおかげである。

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