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2007年5月

なんちゃって江戸っ子

「生まれは?」と聞かれると「広尾病院です」と答えている。きわめて正しく

もっともな解答である。母の実家が近いので、広尾病院を選んだらしい。

父は宮崎出身だから、差し詰め私は九州男児と江戸っ子のハーフという

ことになる。そんな血統のせいか、祭りが大好きで血が騒ぐ体質に育った。

Mikoshi4

今年も5月の第2日曜日、神田の祭りで神輿を担がせてもらってきた。神輿は

担ぎたけりゃ、だれでも担げるわけではありませぬ。それなりのツテやコネが

ないと担ぎ手の切符である法被はもらえない。幸運なことに親友のR子が

神田の生まれで、3代目の正統派江戸っ子。このありがたいご縁によって、

私も20代の頃から‘なんちゃって江戸っ子’に昇格させてもらっている。

おかげで町内のオジサンオバサンたちにも「よっ、ねぇさん、また来たねっ。

よろしくねっ」と歯切れよく声をかけていただけるようになった。6年前は張り

切りすぎて、右ふくらはぎに肉離れを起こし、松葉杖の生活となってしまった

ので、それ以降は学習してトシと相談しながら、担がせていただいている。

Mikoshi2    Mikoshi3

町内会の人たちは、当たり前のことだが、担ぎがメチャメチャうまい。

普段は冴えない系の八百屋のオッサンが、ふんどしに法被姿で正統派の

担ぎを披露してくれると「カッコい~」と惚れ惚れする。だが残念なことに、

花のお江戸は人口が減少の一途。R子の町内会でも、随分と前から

担ぎ手が減少し、町内にある企業さんに協力を求めてきた。が、最近では

日曜出勤を嫌ってか、その神輿対策用臨時雇用(?)の企業人間も少なく

なっている。そこで、インターネットで担ぎ手を募集したところ、くるはくるは、

今年は500人近くも集まった。ただし、この初心者たちは担ぎ方を知らず、

粋とイナセが1ミリもない大喪の礼のような持ち方で、ひどい人になると肩に

入れずに、両手でおっとりと持っていたりする。祭りの礼儀も知らない。

お手を拝借~の1本でしめた後に「へぃっ!へぃっ!へぃっ!」とJリーグの

ような歓声をあげてこぶしを振り上げる。この惨状に町内のオッサンたちが

キレた。R子も私もキレた。ニッポンの江戸の祭りをなんと心得る!

かくして、インターネットで集合した若者たちは、担ぎ方や1本のしめ方を

懇々と伝授されるハメとなっていた。それでも神輿というニッポンの伝統に

若者たちが触れることはいいことだと思う。知らなかったら教えればいいのだ。

第一、神輿は体力的にずーっとは担いではいられない。入れ替わり立ち代りで

担がなければ、宮入から練り歩きを経て神酒所までは戻ってこられない。

こういう初心者たちに協力してもらわなければ、21世紀の江戸の祭りは存続

できないだろう。インターネット募集しなかった他の町内会などは宮入後に、

トラックで神輿を各神酒所まで運んでいた。私は、こっちの方が邪道な気が

する。もともと花のお江戸だって地方から人々が集まり、文化を形成していた

はず。定住者を増やせない以上、初心者たちに協力してもらいながら継承

していけばいいと思う。

Mikoshi 

かくいう私とR子も、20代の頃のようにずーっと担ぎっぱなしという荒行はせず、

抜けたり入ったりしている。それも、町内会の人が集まる神輿前方をウロチョロ

して、神輿をコントロールする差配オジサンたちに「ねえさん、入んなっ」と先頭を

担ぐ栄冠を幾度となくいただく。汗まみれのヘロヘロにガラガラ声、肩は真っ赤に

腫れあがりつつも、今年も楽しく終了。肉離れも起こさずに済んだ。

途中、足はつったけどね。

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一難去って、また一難

Shikai

昨年9月、実は日本の広告写真界の大御所たちに混じっての写真展に

強制参加させられた。この難行は私にとって、意識した以上にブレッシャー

だったようで、終了と同時にぐったりと脱力感に見舞われた。そしてまた、

かよわき私に災難が降りかかったのでござる。この大御所写真家軍団の

中の一人が個展開催と写真集出版するので盛大なパーティを開き、なんと

司会を私にとなにを血迷ったか指名してきたのである。まったくもって受難の

日々である。これは合コンの司会などとはレベルが違う。ご列席の方々は

写真界の重鎮や各企業のオエライさんたちばかり。100名を超すオフィシャルな

大パーティの司会という大役にすっかり恐れおののき、丁重に何度も何度も

辞退した。が、去年の写真展同様、「いーの、やるのっ」と軍団の先生たちは

即決したばかりではなく、「着物で出ればぁ」などと無責任な提案までもしてきた。

ド緊張の上に着物など着たら、きっと私は呼吸困難でぶっ倒れるに違いなく、

着物の件はヒラにご容赦願ったが、司会の大役は決定事項となってしまった。

私はフ~ラチャカしているように見えて、意外となんでも下調べとお勉強の人

なので、司会進行のマニュアルをネットで見つけ出し、決戦の日に向けて研讃を

積んだ。このマニュアルで、これはこれはと感心したテクが台本のカード化。

1枚ペラにダァーッとセリフを書き連ねると、当日のド緊張によって、1ブロックを

すっとばしてしまう可能性アリなので、セリフ3~4行分を1枚のカードにして、

そのカードをめくっていく形式が好ましいというのだ。ド緊張で手が震え、カードを

2~3枚、一気にめくってしまったらどうするのかとも心配したが、1枚ペラ原稿

よりはマシかと思い、このカード方式を採用することにした。コピーライターなので、

原稿書きはお手の物。内容・流れともにうまーくまとめ、カード化し、ボスの目の

前で幾度となく大きな声で予行練習し、当日は自信をつけてコトに望んだ。

ところが、クセ者が集まった写真家軍団は一筋縄ではいかない。私のカードの

順番など無視して、「おい、次はコレやれ」「この後、オレにしゃべらせろ」の連続。

主役の写真家の奥様までもが「親戚のボクちゃんが花束贈呈をしたいといって

るんですの、よろしいかしら」とおっしゃる。しまいには会場側の小粋な計らいで、

サンバチームが演奏と踊りを入れ込むというのだ(ちっとも小粋じゃないやっ)。

台本にはない突発事項の連続に、開幕直前には瀕死状態となってしまった。

あ~、かわいそうに、大失敗だったのね・・・と同情してくださる皆さん、モノゴトは

思いも寄らぬ進展を見せるものであります。「皆さま、こんにちは」と始めた途端、

私は小学6年生の時に放送部に所属し、「皆さま、お昼の校内放送の時間です」と

落ち着いたトーンで放送する花形アナウンサーだったことを突然、思い出した

のであります。しかも、自己紹介をしたところで、私のクライアントの部長さんが

「よっ、tamaちゃんっ!」と掛け声を発してくださり、これにて一件落着。

パニクった5分前とは別人のような、冷静沈着、NHKの女性アナウンサーの

ように落ち着いた声でハキハキとしっかり司会をこなす大物になったので

ございます。祝辞をいただくオエライさんたちの会社名も役職名も間違うことなく、

カムこともなく、適度に笑いもとり、リッパにこなしたざます。宴もたけなわで

ございますが・・・と終了の挨拶も済み、「なぁんだ、ちゃんとできたじゃん」と

思った途端、ぐったり脱力感。帰路は、右足を前に出したら次は左足という

二足歩行さえも覚束ないほどに疲れきり、帰宅後はすぐさまベッドになだれ

込み、昏々と眠り続けたのでありました。

先生たち、もう、受難はけっこうでございます。

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